娘が公立推薦の実技試験でドラム演奏する時間。
私立入試が終わり、無事合格してから二人で考えた3分半。
娘は毎日、3分半を延々と繰り返し練習している。
明日本番、大人達に無限の3分半が届くように祈る。
最近ネットでの表面的な繋がり、手っ取り早いコミュニケーション、薄っぺらな感情表現を疑問視する声があちらこちらで挙がっている。
今朝もとても心に響く日記を読んで自分もずっと前から感じている事に改めて気付かされたので書きたい。
「だから、会わなきゃ駄目。遠かろうが近かろうが、怖かろうが何だろうが、気になる人としゃべんなきゃ。人生もったいないよ。と、俺はそういう方針だ。
便利さや気楽さに逃げておいしいところを忘れてる。だから勃起感もない。生きてる感じがしないのだ。
しゃべってる感じその感じ、まあ、その感じは、会わなきゃわからん。俺は馬鹿だから、会わなけりゃ、その相手とどだい合わないことがわからん。突っ込まなけりゃうわべしか見えん。やっぱり、いいなあ。こいつこの野郎メ。そんな感じがほしくて出かけていくのかね。俺は。」
(勝手に引用して申し訳ありません、今皆が懸念している事を一番真っ直ぐに言葉にしておられましたので拝借いたしました)
まず、俺はこの人と本気でぶつかったか、そう思った。
この人はいつも本気で本心で居る人だからとてつもないパワーが宿っている。
その人と対峙した時、俺は俺のままの俺なのだろうか?
この人が本気でぶつかって来ようとした時、俺は本気の俺です、という俺で臨めるのだろうか?
そしてその次に、ネット上での近しい者との付き合いのあり方について考えて居た事をこの際吐露する。
実際極近くに居る人間同士、いまだ新年の挨拶も無い。
ネット上で紋切り型の挨拶を済ませた相手にいたっては、現場で会っても、もう済んだ事としてなおざりになっている。
自分にも言えることだが、面と向かっての挨拶が億劫で不得意なのに、ネット上での饒舌は甚だ赤面に至る。
ネット上、電話回線上の繋がりや約束結束労いなど全部うわべだけの事、仮想の人間関係に過ぎない中で、品物が飛び交わない中元や歳暮のようなもの、何かで繋がっときたい、繋がっとかなきゃってところか。
それが分かっていてあえてその繋がりに甘んじる、もしくは留まっているのなら仕方が無い。
それだけの関係なのだろう。
残念だけれど、自分の回りにしろあまりにそのような関係が多すぎる。
ともすれば今の社会を形成している人間関係の実態の殆どがそれなのかも知れない。
くらげみたいにフワフワして透明で実体が在って無い様な。
娘は明日初めて会う教員達の前で3分半に命を賭けた姿を晒す。
3分半で自分の全てを分かってもらうようコミュニケーションのボリュームを全開にする、何のためらいも無く。
3分半、それだけの時間俺たち大人が本気で会話する事ができれば、相手の事が自分の事がお互いに見えてくるのに充分すぎる時間だろう。
俺はこれから脚と顔と声と時間を真剣に本気で使うよう心がけようと思っている。
もう折り返したしあと倍という計算は当てはまらないだろうから、もっと人生を謳歌するために今日拝借してきた日記に書いてある事を忘れずに行こうと思う。
中学生の女の子が3分半に命がけになっている。
俺たちも3分半に命がけ、そんな付き合いをして行こうじゃないか!